バブル崩壊により、弊社の売上高はバブル期の10%にまで落ち込み、従業員は全て解雇、残ったのは私を含めて家族だけ。先代は気力を失ってしまい、隠居状態になってしまいます。

私は当時23歳という若さだったのですが、自身、なんとかその日を食いつなぐような生活を送らざるをえなくなってしまいました。まさに風前の灯火です。

弊社にとって、この大きな変化が起きたのは、驚くべき事にわずか1年足らずの間です。わずかの間にここまで激変してしまったのです。

そうなってみて痛感したのは、自分たちがいかに甘かったのか!ということです。当然、このような状態になることを、前もってどうして予測し得なかったのか?
下請け工場であるのだから、メーカーがダメになれば、連鎖的にこのような状態になることは予測できたはずなのです。

であるのに、ぬるま湯に浸かってしまって、下請け工場であることに疑問を抱かなかったのです。こんな簡単なことが、順風の時にはまったく気付かないのです。

私はこのときになって初めて、下請けを脱却する必要性を痛感したわけです。しかしながら、このときにはもう残念ながらすでに下請けでさえないわけです。仕事自体がないわけですから。

バブルが弾けてからの数年間、弊社は非常に厳しい状態が続きました。
もう本当にどこもやらないような、難有りの仕事や、特急の仕事などを、やってなんとか食いつないでいたのです。