平々凡々と、毎日シャツとブラウスを生産していた弊社でしたが、そんな弊社を根底から覆す時代の大波にさらされることとなります。バブル経済の崩壊です。
それまで日本国内で作られていたシャツ、ブラウスのほとんどは、アジア圏で安価に作られるようになり、日本国内に、シャツやブラウスを作る仕事というのは皆無となってしまったのです。私どもの取引先のブランドも衰退し、数年後に倒産してしまいます。1993年、弊社は最大の危機に瀕しました。
唯一の得意先を失い、売上は前年の5分の1に。社員も離れていきました。私が24歳の頃です。冷静に見れば、そこにあったのは、独自の技術や商品を持たず、大手の仕事をこなすだけの、ごく普通の町工場でした。バブルと共にメッキは剥がれ、いよいよ倒産寸前。当時の私は服飾と並行して税務会計を学び、税理士を目指していました。正直、家業に見切りをつけようとしていたのです。
ある日、信用金庫から呼び出しがありました。会社を畳むつもりだった父に、母に言われて無理やりついて行った私は、気がつけば融資の担当者に夢中で熱弁を振るい、返済を待ってほしいと懇願していました。
担当者の答えは意外なものでした。
「ああ、いいですよ。待ちましょう。——ただし、お父さんではなく、これからはあなたがやってください。それが条件です」
この一言が、私が事実上、事業を承継した瞬間でした。そして私にとっては、初めて得た大きな声援であり、後ろ盾でした。
このまま倒産すれば、年老いた両親も、この仕事しかしてこなかった姉も、生活が立ち行かなくなる。家業を立て直せば、家族全員が幸せになれる。不思議なことに、絶体絶命の状況でありながら、私は生まれて初めて、生き生きとした気持ちになっていました。目標ができ、自分を確立できた——どん底ながら、最も輝いた瞬間でした。
