シャツ作りの変遷

前回からヤマナカシャツのヒストリーをご紹介しております。
今でこそ、私も趣味に高じる時間を得ることができたり、
さまざまな分野で勉強させていただく機会を得たり、自分の健康のために
何ができるかを考えたりすることも多いのですが…
それも苦難の時代を支えてくださった弊社に対する、
お客様のご理解・ご支援があってこそ。
そこでどのように自分たちは事業を進めているか、
現在どのようにシャツづくりに取り組み、
そして何を目指しているのかなど、お話しさせていただいて
より弊社への理解を深めていただければと思い、資料と記憶を引っ張り出しては
企業としての経歴を振り返っています。

さてここまでのおさらいですが、弊社の創業者である山中真喜雄(写真)は、
アイロン仕立て業者として事業を立ち上げ、そこに縫製部門を設置して
縫製工場へと事業拡大に成功していった話をさせていただきました。
60年代からあったアイビーファッションのブームを受けて、弊社は当時一世を風靡した
VANをはじめとするシャツの製造を手掛け、縫製工場として一役担っていたのです。
またこの時代に、日本で初めて本格的なシャツ文化の一時代が築かれた
といっても過言ではないでしょう。
さらに1970年代後半から、アイビーファッションに代わり、
DC(デザイナーズキャラクター)ブランドの時代がやってきました。
時代はデザイナー主流となり、日本からも多くのデザイナーがパリコレなどの
世界の舞台に進出していった時代です。
弊社もそうした国内ブランドのほとんどを一度は作りました。
様々なセンスに触れる機会をいただけたその経験は、今では大きな財産になっています。
当然ながら工場の品質も大きく向上し、ついにヤマナカシャツは法人化されました。
振り返ればこのころ、シャツ作りも一つのピークを迎え、会社も絶頂期に突入。
しかしここからが、苦しい斜陽の時代のはじまりでもあったのです。
続きは次回にて…
(写真は創業当時の山中真喜雄)